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Salt made by Tanoya Enjiro

田野屋塩二郎の塩

「1kg100万円」「予約4年待ち」

「ミシュランシェフ愛用」

田野屋塩二郎の塩

コラボ商品「木鶏」では、世界大会2023<業界変革部門>でグランプリ。コラボ商品「田野屋塩二郎シューラスク」では、世界大会2016で優秀賞を受賞。

 

市場にほとんど出回らず予約4年待ちで、世界中のミシュラン星付きシェフが愛用する”幻”の塩。世界で初めて塩のオーダーメイド制を取り、最高値は1kg100万円。手の感覚を頼りに、これまで手がけた塩は2000種類以上。海水に一切火は加えず、太陽と潮風のみで仕上げた完全天日塩は、海水のミネラルがそのまま残り、旨味のある塩になる。”幻”の塩を作り、塩作りの頂点に君臨する人物とはいったい。

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​田野町

Kochi JAPAN

the blessings of nature

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もう一度何かで日本一を目指したくなった30代

「田野屋塩二郎」

が生まれる前章

四国で最も小さな町である高知県田野町に、1人の天才塩職人がいる。名前は田野屋塩二郎。高知で生まれ育ったわけでも、塩作りの家に生まれ育ったわけでもない。ゼロから経験を積み重ね、今や世界トップレベルの塩職人に成り上がった。
 

育ちは東京。昔から負けず嫌いで、何かをやるならばその道の一番になりたいという性格だった。大学卒業後は、普通に就職するのが嫌で、趣味だったサーフィンのお店を開いた。経営は成功。だが、 30代半ばになって考えるようになる。

 

「働くのは70歳まで。残りの人生はどうするか。サーフショップでもう目指せる上はない。もう一度何かで日本一になりたい

 

これからでも日本一を目指せて、趣味のサーフィンも続けられる海に近い仕事。辿り着いたのが塩職人だった。

弟子入り承諾前に引っ越しを決意

日本一を目指すならば、学ぶべきは日本一の塩職人。塩に関する知識はなかったが、高知県黒潮町で完全天日塩を作っていた塩職人・吉田猛さんをアポなしで訪ねて行った。

 

「日本一の塩職人になりたいです。弟子にしてください。給料はいりません」

 

弟子をとらない吉田さんは、ましてや突撃してきた面識もない塩二郎さんの申し出を承諾するはずもなく、何も言わずに立ち去ってしまった。それくらいで諦めないのが塩二郎さん。断られて東京に戻っては、また高知の吉田さんを訪れて頼み込むことを繰り返した。

ついには、黒潮町にアパートを借り、「次の週には引っ越します」と吉田さんに宣言した。それにはさすがの吉田さんも根負け。塩二郎さんがそれほど本気ならば、と弟子になることを認めてくれた。

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日本一の師匠の元に

日本一を目指すなら

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UNDISCOVERED

GEMS OF JAPAN GRAND PRIX

Chosen as the best of

Japan's finest local production

1日数時間の睡眠時間。修行を重ねること2年

いよいよ修行が始まった。

塩二郎さんの1日のスケジュールは次のよう。

夜中の3時半には製塩所に行って掃除や薪割り、日中は吉田さんに付きっきりで塩について学び、夜は工事現場のアルバイトをして夜中の2時に帰宅。こんなハードな毎日を送っていたのは、自分を極限状態に置いて修行に集中するためだった。
 

吉田さんは背中で語るという修行方法で、特に何かを教えるということはなかった。ただ、当時は素人だった塩二郎さんにも初めから吉田さんが作っている塩を触らせてくれた。毎日、吉田さんの見よう見まねで塩を触っていると、1年もすれば塩と”会話”できるようになり、塩の喜怒哀楽も分かるようになってきた。

そして、弟子入りから2年が経った頃、吉田さんから独立を提案された。

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塩と「会話」が可能に

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塩作りに最適な高知県田野町に製塩所を建設

「田野屋塩二郎」

​誕生

自身の製塩所は、「日本一の塩を作りたい」という塩二郎さんの想いに高知で唯一、耳を傾けてくれた田野町に建てることになった。そして、吉田さんは「田野町を背負って世界に出て、恩返しをしろ」と、屋号「田野屋塩二郎」を授けてくれた。

 

田野町は、人口が3000人ほどしかいない四国で最も小さな町。それゆえ、生活排水が少なく、海の水が綺麗だ。さらに、塩二郎さんの製塩所近くの田野海岸には、山から流れる奈半利川が注ぎ、河口付近で淡水が混ざり合ったミネラル豊富な海水を塩二郎さんは塩作りに使うことができる絶好の土地だった。

 

黒潮町から田野町へと場所が変われば、海水も変わる。最高の塩作りをするには、まずは海水を理解するところから。塩二郎さんは田野町の塩と”会話”するために、ビニールハウスで1ヶ月間、塩と寝食を共にした。

火を使わず結晶に。

手の感覚で粒の大きさから味のバランスまで

コントロール

塩二郎さんが吉田さんから教わった「完全天日塩」。塩作りの中では最上級の作り方となるが、一般的な塩と何が違うのか。

 

日本国内で製造される塩の99%は、ろ過した海水を釜で炊き上げて作られている。一方で、完全天日塩は、汲み上げた海水そのままの状態から一切火を加えることはなく、太陽と潮風のみで作り上げる。そのため、火をかけると失われてしまう海水のミネラルを残したまま結晶化させることができ、ただしょっぱいだけではない旨みのある塩ができる。実際に、一般的な塩は99%がナトリウムだが、塩二郎さんの塩はナトリウムは77~78%で、残りはミネラルや水分だ。

また、完全天日塩は、ただ海水を太陽の下に置いておけばできるものでは決してない。毎日、1時間から2時間に一度、木箱に入っている海水を手で攪拌する必要がある。それも、夏には温度が70度にもなるビニールハウスでの作業だ。塩二郎さんは海水を攪拌する際、手で塩と会話をしながら、結晶の大きさは0.2mm・0.3mm・3mm、味は甘い・しょっぱい・辛い・すっぱい・苦みのバランスまで全てをコントロールして仕上げていく。

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「完全天日塩」

が旨い理由

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田野屋塩二郎にしかできない塩作り

世界初の塩のオーダーメイド制

自由自在に塩を作れるようになった塩二郎さんが次に始めたのは、世界初の塩のオーダーメイド制。

塩二郎さんの塩を求めて世界各国から訪れるシェフに、どんな料理にどのタイミングで誰が使うのかまで細かくヒアリングをし、最も素材が輝く塩を提案する。
塩二郎さんの塩を使いたければ、たとえミシュラン店のシェフでも、田野町に来て塩二郎さんと話す必要がある。そこで塩二郎さんが認めなければ、自分の娘とも言える塩は売らないのだ。反対に、たとえ田舎の小さなお店の料理人でも、本気であることが伝われば、どんなに難しい塩作りでも引き受けてきた。こうしてこれまでに手がけた塩は2000種類以上。これまでの最高級のものは、トリュフを1年かけて浸した海水を塩にした1kg100万円の塩だった。今ではオーダーメイドの注文が全体の9割を占めるようになり、塩二郎さんの塩は市場にはほとんど出回らなくなった。

 

建てられた3棟のビニールハウスには、130の木箱があり、常時100種類以上の塩が作られている。そして、今日も塩二郎さんはその娘たちと会話を楽しんでいるのだ。

世界大会での

プレゼン&試食審査

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「田野屋塩二郎の塩」

田野屋塩二郎の塩

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